ラストノート

 扉を開けばからだを包む
 イミテーションの芳香
 シューマン
 オルゴールアレンジされているし
 音を垂れ流すのは
 ピンク色の韓国製コンポだし
 人形のために作られたような
 小さな木目調の丸テーブルは
 実際は集成板
 造花の百合が白々しく
 下品にそしてエロティックに
 咲き誇る


 母さんは丸テーブルに肘を突く
 金色のウィグが
 まるで生き物みたいに
 耳と頬を覆い
 ルージュを引いた唇と
 カラーコンタクトの
 ごく神秘的な空色が
 僕を見上げる


 軽そうな白いカップから湯気が立ち
 琥珀色の水面が
 小さな円の中
 まっ平らに広がって
 周囲のイミテーションを
 ごく精密に描写する
 まがいものを映す
 琥珀の水鏡だけが
 この部屋の本物
 言いかえれば真実


 母さんは僕に椅子を勧める
 消しゴムみたいな質感の
 白い肌が波打ち
 生理食塩水でできた
 乳房が揺れる
 人形のために作られたような
 小さな木目調の丸テーブルに
 僕は足を押し込める
 紅茶の湯気が
 母さんの香りの中
 一筋するどく立ちのぼり
 香水の
 トップノートの
 夢を解く


 母さんはささやくように語りだす
 ダージリン
 香りの秘密を知ってる?
 意味ありげに
 小首を傾げて
 微笑んで
 たくさんの虫たちが
 葉を何度も噛むの
 それが香りを強くするのよ
 僕らは紅茶を飲み交わす
 琥珀色の真実を
 まるで何かの
 儀式でもあるかのように
 言葉少なに飲み交わす


 やがてカップは空になり
 イミテーションの芳香が
 僕を再び包み込み
 残り香でまだ温かい
 カップを僕は手に包む
 母さんは微笑んだ
 ミドルノートの中で
 つけまつげを広げながら
 笑った


 僕は気付いてしまう
 目尻の笑いじわが
 消しゴム色の肌に
 深々と
 刻まれているのを
 僕は思い知らされてしまう


 僕は立ち上がる
 僕は母さんから目をそらす
 そしてしばし想像上の
 鉄の翼のはばたきに
 これから僕を
 地球の裏側
 その近くまで運んでくれる
 巨大な機械のうなりに
 想像上の耳と心を
 ゆだねようとする


 母さんはそんな僕を呼びとめて
 足音もなくそっと寄り添い
 木でも見あげるみたいに
 僕の肩に両手を当てて
 つま先立ちで
 僕のあごに
 唇を当てた
 生理食塩水でできた
 固い乳房が
 僕のわき腹と胸に
 当たった


 たくさんの虫たちが
 葉を何度も噛むの
 それが香りを強くするのよ
 母さんあなたは
 その秘密を
 ごく忠実に
 実践してきたのでは
 ありませんか?


 イミテーションを
 ミドルノートを
 ドアの向こうに
 追いやっても
 はるか上空
 三万フィートで
 神様に会えそうな
 気分になっても
 母さんの残り香を
 僕は
 ポケットに忍ばせ続けて
 しまうだろう