十九万六千八百三十三次元のモンスター

 横浜の
 陰で濡れそぼった坂道を
 異人たちの霊がよぎっていく
 カラスアゲハが
 デジタル信号みたいに
 羽を明滅させて
 緑色のフェンスに軌跡を絡め
 夕暮れを抱え込んだ崖を目指して
 消える


 僕は立ちすくんでいた
 誰からも忘れ去られた
 地下水道の多段滝が
 ごく小さな気泡を巻き込みながら
 闇から闇へと
 流れ落ちていくのを
 坂道の中央でなら
 聞き取れるような気がした
 ネズミの棲家ほどの
 レンガ造りの
 微小な水路では
 きっと
 音は減退することなく
 永遠に反響を続けるはずだと


 僕が見ていたのは
 時間
 異人たちの墓標が立ち並ぶ
 静まりかえった路地を
 桶と柄杓を手にした婦人が
 顔のない後姿で降りていく
 僕が見ていたのは
 空間
 荒れ果てた公園に安置された
 呪術めいた環状列石が
 みなとみらいの夜に向けて
 意味ありげに頭をもたげる
 僕が見ていたのは
 十九万六千八百三十三次元の
 回転する球体から飛び出した
 モンスター
 僕らの思想と文明の底に広がり
 電波ネットワークのエアラインへ
 仮想と抽象の袋小路へ
 駆けていき
 携帯のパケット伝送路で
 何よりもパーフェクトに
 僕らを隔離してみせた
 時間と
 空間を
 平らげるモンスター


 婦人の柄杓は
 木漏れ日の下で濡れ光り
 環状列石は
 意味ありげに頭をもたげ
 忘れ去られた地下水道
 今日もまた誰かに
 忘れ去られる