白いつばさたち

 なかなか雨の降らない曇り空の下、いつものように川沿いの歩道を散歩していて、ふと思い当たった。
 最近空を飛んでいないな。
 もちろん、私自身は空を飛べない。飛行機やグライダーにだってそれほど縁があるわけでもない。それでも、子供の頃はもっと空に近い場所にいた気がする。
 埼玉の田舎町にある実家の近所は、水田が湖のように広がっていて、古いお屋敷と雑木林が小島みたいに浮かんでいる。そんなまばらな人里を、低い丘陵が縁取って、半球の広い空が覆っているのだった。
 父はなぜか物を飛行させるのが好きだったようだ。私がまだ子供の頃、父は色々な凧を手作りしていた。正月にはよく近所の河原や運動場へ揚げに行った。十個を超える連凧や、欧米の気象観測用の凧を模したらしい布張りの凧などもあった。
 ある凧揚げの時、既に空の高い場所にある凧の糸を父から手渡され、想像以上に強い力で引っ張られるのに驚いた覚えがある。空に浮かんでいるのは凧で自分は固い地面の上にいるというのに、なぜか足がすくんだ。まるで凧が空に繋ぎとめられていて、自分は糸をたぐって登っているような気分がした。
 父は凧ばかりではなく、紙飛行機も作っていた。
 それは、二宮康明先生という紙飛行機の権威が設計したものだった。紙型が本として出版されていて、ページを切り抜いて糊で貼り合わせると紙飛行機になる。プロペラなどの動力機関のない、手で投げて風に乗せるシンプルな紙飛行機だ。
 私も、型紙をもらったり本を買ってもらったりしていくつか作ったことがある。だが、未熟な工作技術と不適切な工具(本来セメダインを使うべきところを普通のでんぷん糊にしてしまったり)のために、うまく出来たためしがなかった。父からは「紙飛行機が可哀想だ」と言われてしまった。いま思い返すと確かにその通りだ。
 それでも、二宮先生の飛行に関する丁寧な解説や紙飛行機はとても強く印象に残った。
 二宮先生は、戦中から独自に紙飛行機を研究し続け、アメリカで開かれた国際紙飛行機大会第一回で優勝を納めるに至った、言わば紙飛行機の生き字引だ。そんな先生が設計された機体はどれも極めてシンプルでしかも精妙だった。楕円に近い微妙な曲線で象られた翼や胴体は、型紙を見るだけでも何だかわくわくした。
 型紙の本には、紙飛行機の完成品が実際に飛んでいる写真が掲載されていた。紙飛行機はみんな本当に真っ白で、それが青い空の中を漂っていく姿は神秘的とさえ言えた。鳥とも飛行機とも、地上と糸で繋がれた凧とも違う、紙飛行機にしかできない飛び方をするのだ。雲と見分けが付かなくなるくらいの高みをよぎっていったり、ススキの野原をなでる風に乗ってまっすぐ飛んでいく。
 二宮先生は、単によく飛ぶ紙飛行機を作ったということだけに留まらず、全く新しい空の飛び方を発明したのだと思う。八十歳を超えた先生は今でも健在らしく、新しいデザインの紙飛行機が毎年発売されている。それに、先生に倣って自ら紙飛行機を設計して飛ばす人も大勢いる。
 私自身はもう長いこと空から遠ざかっていた。父もまた、私が高校に上がった頃から凧や紙飛行機に触らなくなったような気がする。(その代わり父は、アニメのフィギュアやインターネットの俗悪巨大掲示板サイトに凝るようになった……)
 随分背も高くなり、本物の飛行機に乗ったりもできるようになった。だが、空を見上げて何かをするという機会は、いつしかほとんどなくなってしまっているのだった。

補足

 二宮先生設計の紙飛行機の型紙が、PDFファイルとして無料で入手できたりする。もちろんプリンターと紙は要る。

http://cp.c-ij.com/japan/papercraft/toy/racer539.html

 私が作っていたのもほぼ同じ形のものだ。ただ、こんな無粋な色なんてついていない無地の純白だった。まあ、カラープリンター会社が提供しているものだから、色が付いているのはある意味仕方ない。

よく飛ぶ紙飛行機〈Vol.1〉―切りぬく本

よく飛ぶ紙飛行機〈Vol.1〉―切りぬく本