ドワーフ・プラネット(三)

※この物語はフィクションです。実在する場所、人物、団体名などとは一切関係ありません。

 ボルト達から礼二の事を聞くようになったのは、それからすぐだった。校舎の喫煙スペースで私はたまたまボルト達と出会った。私は煙草を吸わないけれど、友人たちと立ち話をしようと副流煙の中に入っていった。
 ボルトは煙草を片手に眉を潜めて話していた。私が来たのを見て取ると顔をこちらに向けた。予想外の鋭い視線が私を戸惑わせた。
「カラスは知らないんだっけ? この前の合宿で、礼二の奴が近藤さんとバトルしたの」
 知らないと私は答えた。合宿(実態はただの泊りがけの旅行)には希望する生徒だけが参加していた。私は新聞配達をしている都合から参加していなかった。因みに、近藤さんというのは、同期だが私たちより少し年上の男子生徒で、皆に兄貴分として慕われていた。
「夜中に俺たちの部屋に来たんだけどさ、あいつ突然俺たちのこと批判しだして、やる気がないだの何だのって。まるで先生みたいによ。近藤さんが止めに入ったんだけど、それからもうバトルだよ」
 乾いた笑い声を上げてボルトは煙草の灰を灰皿に落とした。
「笑っちまうよな。それだけならまだしも、あいつ、合宿で片倉さんを一方的に振ったんだってよ」
 え、と私は間抜けな声で聞き返した。ボルトはそんな私の様子を察知して、補足してくれた。
「あいつ片倉さんと付き合ってたんだけど、なんか合宿中に突然別れ話を切り出したらしいぜ。片倉さん夜に泣いてたってよ」
 まず礼二と片倉さんが付き合っていたことが初耳だった。片倉さんは、文学科の生徒の中では珍しく普通な感じのする可愛らしい女性だった。入学して間もない頃は礼二のグループに混ざっていて、どこに行くにも礼二達と一緒だった。その頃からすると、確かに不自然なほど距離を置くようになっていた。
「今は他の女に目をつけてるらしいぜ」
 彫りが深く鋭いボルトの眼が歪んだ。何だか睨まれているような気がして恐怖を感じた。その視線が、お前はどうする? と聞いているようにも思えた。曖昧に相槌を打つことしか私にはできなかった。

 確かに私は、それなりに礼二と仲が良かった。それなりに、などという婉曲表現を使ったのは、礼二をあまり好きではなかったからだ。それでも、礼二とはある程度の交流を保っていた。礼二と関わらざるを得ない極めて個人的な理由があった。

 放課後に礼二を喫茶店に連れ出したのは、ボルトから話を聞かされてから数日後のことだ。夜まで必修授業がある曜日で、新聞配達も休みにしていた。駅前で一緒にお茶でも飲まないかと誘うと礼二は快くついてきてくれた。

 茶色いペンキ塗りのテーブルを挟んで私と礼二は向かい合っていた。近くを通り過ぎる電車が、そのテーブルを小刻みに揺らしていた。
「とにかく、敵は作らないほうがいいよ」と私は言った。礼二はとぼけた苦笑をしてみせた。その苦笑をどうにかしてやろうという少し残酷な気持ちになって、ためらいながらもまた口を開く。
「片倉さんを振ったっていうのは、本当なのか」
 礼二は「えっ」と声を上げて目を丸くし、それからまた苦笑に戻った。
「まあな、ミカとは性格が合わなくてね」
 そう言っている間に笑みは消え、苦々しさだけが顔に残るのが分かった。
「そうか、カラスもあの話を聞いたか」
 まあな、とだけ私は言った。
「あの時は実は酒が入ってたんだよ。酒を飲むとどうも気が大きくなるみたいで。あれからもう断酒してる。もう絶対に飲まない」
 礼二は少なくとも悔しそうではあった。私は自分自身に及ぶ酒の効果(頭痛と吐き気)と礼二の話とを比較してしまい、その悔恨にあまり共感できなかった。
「今はまた他の女の子と付き合ってるのか?」
 礼二の肩が何かに突付かれたように小さく跳ねた。
「まあ、気になる子はいるんだけどな」
 私は頷くだけで何も言わなかった。ティーカップを持ち上げて、それがもう随分前に空になっていたのに気付く。そのまま手を下ろすのが何となく嫌で、テーブルに肘を突いてカップを両手で包んだ。
「そういうカラスには好きな子とかいるのか? 浮いた話を全然聞かないけど」
 私は、白いカップの縁ごしに礼二を見据えた。うっすら黄味を帯びたカップの縁に礼二の口と鼻は隠されていた。目から上だけが見て取れる。こうすれば、礼二の表情を見なくて済んだ。
「まあ俺は忙しいから」
 ゆっくり息を吐きながらカップをテーブルの上に戻す。
「いるけどね」
「えっ」
 礼二が身を乗り出してきた。
「俺にも気になる子はいるよ」
「本当? それはかなりビッグニュースじゃ……」
 私は口をつぐみ、胸に走る甘い痛みに酔っていた。
 そう、礼二と関わらざるを得ない、極めて個人的な理由があったのだ。

(続く)