ドワーフ・プラネット(二)

※この物語はフィクションです。実在する場所、人物、団体名などとは一切関係ありません。

 店内にはジャズ・ピアノの音色が流れていた。茶色いペンキ塗りのテーブルを挟んで私と礼二は向かい合っていた。店のドアから覗く外は街灯のまぶしい夜で、私たちの周囲は喫茶店らしい薄暗さと静寂に満ちていた。礼二はアイスコーヒーを、私はホットティーを飲んでいた。カップの取っ手に触れながら耳を澄ましていると、外の喧騒が忍び込んで来そうだった。
「とにかく、敵は作らないほうがいいよ」
 私はもう一度礼二に言った。礼二はとぼけた苦笑をしてみせた。
「わかった。気をつけるよ。でもあっちはあっちで俺に妙な敵意を持っていないか? それは俺のせいじゃないだろ」
 妙な、の部分を礼二は皮肉を込めて引き伸ばした。
「それはあるかもしれないけどさ。まあそれは俺がなだめてみるよ」
 礼二はため息をついてアイスコーヒーに目を落とした。私もため息をつこうと思ったけれど、礼二と同じ仕草をすることが何となくためらわれた。ジャズ・ピアノの間に微かな地鳴りが忍び込み、ティーカップがカタカタと揺れ始める。きっと駅に電車が入ってきたのだ。この喫茶店はすぐ駅前にある。
「カラスには気を遣わせてしまってすまないねえ」
 相変わらずのとぼけた苦笑で礼二は言う。私は何となく目を逸らした。
 私と礼二はメディア文学科の同級生だ。メディア文学科は、全体で四十人程度しかいない小さな学科だった。同級生とは誰とでも否応無く知り合いになってしまうし、授業でも顔を合わせる。そして噂も色々と聞こえてくるし、噂の源となる現場だって目にしたりもする。


 メディア文学科について多少説明が必要かもしれない。
 これは放送系専門学校の大手である都放学校になぜか設けられている、エンターテイメント系の小説家・シナリオライター・漫画家を養成する学科だ。
 テレビ業界を目指す明るく活発な人間が多い都放学校の中で、ネガティブな方向に異彩を放っている学科だった。つまりライト・ノベル作家や漫画家を目指すような人間ばかり集まる学科なのだ。私もその中の一人だった。
 そんな私たちメディア文学科は、校舎の一隅にある図書室を根城にしていた。教室一つ分の空間に本棚やテーブルやパソコンを詰め込んだ本当に狭い部屋で、他学科の人間はほとんど訪れない。逆に文学科の人間ならいつでも誰かしら一人はいる。そんな場所だった。
 ある必修授業の直前に私はその図書室を訪れた。予想通り、顔なじみの同級生で部屋は混みあっていた。室内に据えられているテーブルもパソコンも、みんな文学科の人間で埋まっている。私は知人に挨拶をしながら中に分け入った。
 文学科独特のくぐもった喧騒の中、ひときわ甲高い声を立てている集団があった。礼二を中心とする一派だった。仲良しのグループでテーブルを丸ごと一つ占拠している。
 礼二の周囲に集まっているのは、女性ばかりだった。メディア文学科は、六対四の割合で男性が多く女性は少ない。その貴重な女性で、礼二の周囲の席や空間は埋まっていた。礼二自身は奥の席に座り、ノートパソコンで何か書き物をしながら周囲の女性と盛んに話していた。
 礼二は決して美青年ではない。どちらかというととぼけた顔つきをしている。体格もごく普通で、背も高くはない。なで肩でスポーツができるようにも見えない。ただ文学科生徒には珍しく外向的な人間で、人と話すのが得意だった。鼻にかかった少し甘えたような声で礼二は人とよく話した。特に女性と分け隔てなく話せるのが、文学科男子の中にあっては特筆すべき点だった。
 私は、男ばかり集まっている別のテーブルで、ある映画監督に関する議論に加わった。だが、その議論の上には礼二や女性の甲高い声が被さってくる。薄暗い男たちの会話は霞んでしまう。私たちは何度か無言で礼二たちに目をやった。当然そこには羨望の眼差しも混ざっている。
 一人の男が殊更鋭い視線を礼二に投げ掛けていた。文学科には珍しい茶髪のファッショナブルな男で、ボルトと渾名されていた。(因みに得意とするアーケード・ゲームのキャラクターの名前が由来だ)
 ボルトは目を細めて眉間に皺を寄せ、露骨に舌打ちをして見せた。礼二はそんな事など気付かずに、自らのグループの中心で甲高いお喋りを続けていた。

(続く)