物語の洞穴
雨が止むと午後の傾いた陽が射した。くすんだ商店街は光を浴びて急に生き生きとし始める。遅い昼食を摂るために出掛けた私はふと実家近くの古本屋のことを思い出す。物静かな女性と繋がれていない老犬が番をしていた、あの雑然とした古本屋のことを。
まったく関連性のない気まぐれな思い起こしの様だけれど、そうではない。私は雨上がりの商店街からある感覚を受け取った。何かが始まり、それで世界の秘密に触れられそうな、酸味と青味の入り混じった爽やかな感覚だ。私はそれを勝手に《物語感》と呼んでいる。
前述の古本屋にはその物語感が詰まっていた。どこにでもある俗っぽい古本屋で、古いファミコンゲームも売ればなぜかパチンコの台も売っていた。いかがわしい本も文学書も一緒くたにして売っていた。値段の付け方はデタラメで、古くなってしまったものはみんな十円だった。陽に焼けるのも構わずに、軒先に漫画本を並べていたりもした。
小学校から中学校にかけて、隣町にあるその古本屋へよく出掛けた。薄暗い本と本棚に挟まれて、ジュニアノベルズの文庫を探したり、ゲームの攻略本を探したりした。積み上げられた本の根元にうずくまっていると、ふとすぐ近くに何者かの気配を感じて振り返る――気配の源は人ではなく、店の番をしている老犬だったりする。鼻先で私の顔を伺い、やがて女性に呼ばれてレジの方に帰っていく。
その古本屋で私は、今のところ人生最高として君臨している本に出会った。誰かがきっと読み飽きて売った、ジョージ・マクドナルドの「リリス」だ。女邪神の名前を冠したその文庫本が気になり手に取った。古い英国の版画が表紙だった。柱時計を開けている子供の絵だ。そのとき物語に出会ったのだと思った。幾多の本の間で息を潜めていた物語の一つに触れたのだ。物語感独特の、指先と顔面がしびれる感じを覚えた。老犬が尻尾を丸めて寝転がっているレジへ、私は嬉々として文庫本を持っていく。
私の地元には古本屋が何軒もあった。きっと地方都市にはどこにでもあるのだろう。古本屋という、雑多でどこかいかがわしく、そしてこぢんまりとしていて懐かしく優しい商売が。売れた本も売れなかった本も、あるいは売れる本も売れない本も平等に扱い、同列のものとして本棚の隅にとどめておく。裏表紙には適当な値段を鉛筆で書き込む。そうやって並べられたものは、私たちの雑多な頭の中に案外似通っているのではないか。
今は新古書店がかつての古本屋を駆逐し、各地に広がっている。だがそれらには、古本屋にあった優しさや懐の広さ、個性は見当たらない。
地元の古本屋で、あの物静かな女性と老犬がまだ番をしていることを、私は何だか祈るように願ってしまう。黙して語らない彼女たちこそ、物語の番人に相応しい気がする。
雲が薄れて影の濃くなり始めた歩道を歩きながら、私はそんなことを思った。
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