空を埋める漂流物

 5月15日だった。
 関東の空はちぎれ、地表には雹が血しぶきのように降っていた。
 青白い部屋の中で眼を覚ましたばかりの僕は、倦怠感に包まれて半ば起き上がったまま外を眺めた。屋根で踊る白い結晶や、雲の唸り声や、閃光を。
 僕はふと富山の海岸のことを思い出す。まるで魔法でも掛かっているかのような、穏やかな海だった。あの静かな海も今は揺れているのかもしれない。だが、この雲の渦が列島を跨ぐということがあるのだろうか。いつも雲を脇に従えているような山並みを越えることなんて、きっとできやしないだろう。
 海の果てに浮かんで見えるという山脈のことを僕は思う。その空の高み、空気の薄い高原の一角に憧れてしまう。高原は下界とは違う時空に属し、陽の陰影はずっと濃いに違いない。太陽も月も星もむき出しのままで手に取れそうなほど近い。そこでならきっと、僕の心もむき出しにできるはずだと。
 雲がまた唸りを上げる。山脈が、雲の渦が、雹が、閃光が、何もかも僕を閉じ込めるために配列されているように思えた。青白い空気の中で僕は細い息を吐く。いや、全ては自分を守るために引き寄せてしまったことではないか、と。
 濁った空気が忍び込んでくる。ここで空を目指しているのは直方体の高層マンションばかりだ。幾本もの塔が切り取り掻き混ぜる空は今にも落ちてきそうだった。ある詩人の言葉が浮かんで消える。
「空は、われわれの時代の漂流物でいっぱいだ」
 今日は5月15日。
 反動の始まりの日。

田村隆一全詩集

田村隆一全詩集