祖父の思い出(2)

 祖父の生涯について、僕は聴く機会をほとんど得られなかった。祖父に関するエピソードで覚えているものは、ほとんど父から聞いたものばかりだ。


 祖父は、大正七年に埼玉県の越生で生まれたらしい。生家は、かなり名のあるノコギリ鍛冶だったという。伝統的な日本独自のノコギリを扱う職人として重宝されていた家だ、という話を父から聞いたことがあるが、今でもその家系が残っているのかどうかは知らない。とにかく、祖父はそんな職人一族の生まれだったそうだ。兄弟は十三人もいて、祖父はその長男だった。
 祖父の少年期や青年期がどんなものだったのか、あまり耳にした事はない。僕は邪推してしまう。あるいは父からほのめかされた事があったのかもしれない。祖父は、後の経歴から考えて、代々の職人である実家を飛び出したように思うのだ。
 空白の期間をまたいで、次に祖父のエピソードのある時代は、戦時中だ。多摩地方にあったどこかの飛行機工場で戦闘機か爆撃機の製作に関わっていたそうで、空襲を受けて米軍の戦闘機に追われたり、幻の巨大爆撃機富嶽」のエンジン製作に関わったりしていたらしい。(これは単に見掛けただけという話かもしれない。一万馬力の巨大エンジンの試作機が運転しているうちに融けてしまった、という逸話を父から聞いた)
 戦後は、一時期八王子に住んでいたらしい。数年前、自分が八王子に住むようになってから、昔の八王子について祖父に話を聞いた事がある。その時は、身体の方は大丈夫だったけれど、もう途切れ途切れにしか物事を話せなくなっていた。それでも、八王子に路面電車が走っていた時代に、駅前の文房具店の二階で暮らしていた事を懐かしそうに話してくれた。
 汽車が駅に入ってくるのが見える場所で、それから部屋を出ても汽車には間に合うような所だったという。駅の場所は多分変わっていないだろう。昔の駅前はずいぶん見通しが良かったのだろうな、と思った。今ではもちろん、見る影もない。
 それから、昭島の辺りで祖母と一緒になったらしい。どういうきっかけだったのか、見合い結婚なのか恋愛だったのかも分からない。実直で職人らしい祖父と、ハイカラで華やかな祖母がどうして結婚したのか気になるけれど、それを誰かに聞くことはいまだできないでいる。伯父や伯母たちも詳しく知らない様子だった。
 その後、夫婦で川崎の方に移り住み、会社で職工としてずっと働いていたようだ。四人の子供をもうけて平凡に暮らしていたのだろう。その間に、隣家の失火で家が焼けた事があったそうだが、家族は無事だったようだ。

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 祖父の表面上の経歴は、僕の知る限りでは書いた通りだけれど、精神的な面では、もっと大きな紆余曲折があったように思う。それは、祖父の信仰に関することだ。
 前に少し書いたとおり、祖父はカトリックの信者だった。それで毎年、年賀状ではなくクリスマス・カードが送られてきたのだ。それも決してサンタが描いてあるようなファンシーなものではなくて、幼いイエス・キリストを抱くマリアの像や古い宗教画といった、厳粛なものが多かった気がする。
 祖母もまたクリスチャンで、死んだらキリスト教の墓に入る、と言っていた。父たちも生まれたときに洗礼を受けているらしく、それぞれクリスチャン・ネームを持っているらしい。しかし、父たちは祖父と同じような信仰を持っている様子はない。
 越生の職人の長男であった祖父が、どうしてキリスト教に出会って入信したのか、その辺りの事情は良く分からない。越生の職人の長男であった人間がキリスト教に目覚めるには、相応のきっかけや決意が必要だったと思う。家族や周囲とのことも色々あっただろう。
 祖父は熱心な信者だったのだろうけれど、信仰を子供や孫に押し付けるような事はしなかった。祖母と一緒に、物静かに祈りを捧げているばかりだったのだろう。

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 どんなきっかけで祖父が信仰を得て、祈りを捧げることを知ったのかは分からない。だけど、その根底にある気持ち、精神のようなものは何となく分かる気がする。
 僕のような青二才が分かる、なんて言うのはおこがましいかもしれない。でも、祖父の持っている空気に触れたことのある人間として、推察することぐらいは許して欲しい。
 祖父は、神聖さ、というものがある事を知っていたのだと思う。
 自分が結局はそのために生かされ、また生きていて、その前では敬虔になるほかない神聖さを、知っていたのだと思う。
 神聖さを知っていたから、祖父は絵を描いたり詩を書いたりしていたのだ。そして、神聖なものを本当に知っていたからこそ、それを誰にも押し付けず、むしろ自分だけの秘密にしておくような態度を取っていたのだ。
 その神聖さとは一体何か――祖父の信仰をわざわざ相対化するような事は書きたくないけれど、《祖父にとって》それはキリスト教だった、と、信仰を持たない僕は言うほかない。
 僕は、理性的な信仰を得た祖父やキリスト教徒を羨ましく思う事がある。「カラマーゾフの兄弟」に出てくるアリョーシャのように全世界の人々の事を神様に祈ったり、また、そうしてくれる人々が世界のどこかに一人はいて、自分を思ってくれる神様がいることを確信できたら、どれだけ救われるだろう。
 だけど僕は、祖父と違って、キリスト教の神様を信じる事はしなかった。今後もしないだろう。僕は自然科学の徒で、神様が存在したとしても、それは人間が考えた程度のものではないだろうと思っている。もちろんキリスト教徒も似たような事(神の意思は計りがたい、など)を言っている。それなら、人間が考えた(と僕は思う)キリスト教という形式に拘らなくても良いのではないか、とつい考えてしまうのだ。
 だけれど一方で、神聖なものがある、という確信は常にある。
 人間を超えた、喩えれば《意思》のようなものが宇宙全体をこの形にし、そして、我々も生きているのだ、という《感じ》はする。それは僕たちが日常的に使う意味での《意思》とは言えないかもしれない。論理学の基本法則すら裏切っているようなものなのかもしれない。
 それでも、何らかの《意思》のようなものが、世界全体を満たしている気がするのだ。
 僕が詩や文章を書くのは、実は、そんな神聖さに少しでも近づきたいからだった。それは本当につたない不器用な方法だろう。祖父は、きっとずっとうまくそこに近づいていたに違いない。
 だけれど、僕は自分に与えられた限りの人生の中で、自分が誠実に考えた限りの方法で、神聖さに近づきたいと思う。そうして初めて、敬虔だと言える気がするのだ。