祖父の思い出(1)

 毎年正月の二日には、父方の実家に帰るのが恒例だった。
 僕が子供の頃、父方の実家は川崎の小杉にあった。それに対して、僕の実家は埼玉県の田舎町だ。正月の早朝、まだ暗いうちに一家で車に乗り込んで、ラジオを聴きながら東京の高速道路を走り、都会の祖父母の家に行く。それが正月の楽しみだった。


 父方にはたくさんの伯父・伯母や従兄弟達がいて、この正月の帰省は賑やかな集まりになる。田舎から出てきた僕にとっては、横浜や川崎や東京に住んでいる親族たちの集まりは、とても都会的で華やかなパーティーに思えたのだ。
 何より、父方の親族は、みんなどこか自由で文化的な雰囲気があった。
 祖母は息子たちの手ほどきを受けてしばらくMacを使っていたし、祖父は詩を書いたり絵を描いたり、カトリックの教会に通ったりして暮らしていた。
 そんな祖父母の長男であるM伯父は、IT関係のフリーライターで生計を立てている。長女N伯母の家族は音楽一家で、旦那さんがクラシックギタリスト、二人の従姉妹は音楽学校を出ているピアニストだ。H伯母はさらに異色で、北海道の牧場主の元へ嫁ぎ、ずっと乳牛の世話をしている。
 そういった親族たちの中では、僕達一家はいかにも垢抜けてなくて貧乏くさい、しかも特徴のない家族だった。その分、正月に祖父母の元を訪れて親族たちと会うのが、とても楽しみだったのだ。

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 祖父と祖母は、性格がほとんど正反対の夫婦だと思う。一族の皆が集まった中で、祖父は一人でテーブルに着き、機嫌良さそうな様子で、ビールを静かに飲んでいたりした。ビールを静かに飲むなんて少しおかしい気がするが、実際祖父はそうしていたのだから仕方ない。反面祖母は、女性陣のお喋りや孫の騒ぎに混じって明るい声を上げていた。
 思い返してみれば、祖父と言葉を交わした事はあまりなかった。それよりも、毎年送られてくるハムやお菓子やクリスマスカードの事をよく覚えている。そして何より、祖父母の部屋のことを、僕は祖父自身のように覚えていた。

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 川崎の小杉にあった祖父母の家は、すぐ窓の外を電車が走っている沿線の小さな家だった。線路に切り詰められたような三角形の建物で、一家六人で暮らそうと思えばかなり手狭だったろう。そんな小さな家の二階に祖父母の部屋はあった。ある年の集まりで、一階の居間でアニメを見たりお節料理を食べるのに飽きた僕は、何となく一人で二階に上っていったのだ。
 急な階段を上っていくと、天井に作りつけになっている棚には、油絵のキャンバスが本のように幾つも押し込まれていた。その並んだ白い縁を後ろに眺めながら階段を上りきり、祖父母の部屋の戸をそっと開けて中に入る。
 すると、一階の賑やかさはどこかに引いていった。無愛想に静止していた空気は、樟脳か何かの匂いがした。冬の澄んだ空が窓から覗き、明るい昼の光が差している。時を経ているらしい物の数々が、日を受けて鈍く光っていたけれど、同時に、たくさんの陰を作り出していた。
 大きな木のベッドがあって、サイドテーブルには数字がめくられる型の時計が置かれていた。窓の向かいの壁にはイーゼルが据えられ、描きかけの絵がそれに乗っている。絵は、年によって変わり、近所にある川辺のマンションを描いた風景画だったり、ディズニーランドを訪れた伯母と従姉妹の姿だったりした。絵のモデルにしている写真が、キャンバスの隅に留められていたように思う。
 ベッドに背を向ける格好で置かれた木の机には、油絵の具を混ぜ合わせたパレットや、絵筆や、絵の具のチューブが散らばっていた。どうしてあんな風に色をぐちゃぐちゃにしたパレットで絵が描けるのか、僕は今でも不思議に思っている。
 その机の上には棚が架けられていて、いかにも重そうな使い込まれた聖書と、手を広げたマリア様の白い像が並んでいた。銀色の小さな十字架も置いてあったような気がする。
 不思議なほど静かな空間だった。時計が時間をめくるパタリ、という音と、遠くの方からやってくる電車の走行音の他は、何も聞こえなかった。すぐ窓の外を走っているはずの電車の音ですら、祖父母の部屋の中では物静かに聞こえた。
 祖父というと、僕は真っ先にその部屋の事を思い出すのだ。

(続)