去年と今年。人との距離について。

 新しい年が始まった。祖父の事があってお祝いは出来ないけれど、今年も何卒よろしくお願いします。


 去年は出会いと別れの年だった。僕の人格が至らないばかりに、幾つかの場所に出入りできなくなった。代わりに、ポップスバンド「黒赤ちゃん」のファンにたくさんの知り合いができた。それぞれの場所で起きたことがまったく正反対で、振り返ってみると驚くばかりだ。
 どうしてこういう事になってしまったのか? その理由が、今は分かる気がする。新しい年の初めにそれを書き残し、自戒としておきたい。


 前者で失敗したのは、無理をして距離を詰めようとしてしまったためだった。周りにいる人たちがみんな自分より遥かに高い方達で、それにどうにかしがみ付こうと必死だったのだ。背伸びしたまま歩くようなもので、それが長続きするわけがない。あるいは、子供や学生ならまだ微笑ましいと言えるかもしれない。だけど、僕はもう一般的に大人だと見なされる歳で、背伸びなんて見苦しいばかりだった。
 後者で成功したのは、距離を詰めようとしなかったからだ。そこでは、距離が自然に詰まったのだ。前者の失敗の後で、用心深くなっていたのが良かったのかもしれない。自然と距離が詰まるのを、じっと待つことができた。それに、(少なくともその場所では)自分と同じような立場の人が集まって、明らかな上下関係(語弊があるかもしれないが、例えば送り手・受け手のような関係)もなかった。そこでは背伸びの必要はなくて、みんな対等に歩み寄ることができた。


 人間関係について、去年の1年で成功と失敗のモデルをどちらも手に入れたことになる。たくさんの教訓があった。それは、辛くはあったけれど、恵まれた事だと言えるだろう。
 はっきり言えるのは、距離というものは詰めるのではなく、詰まるものという事だと思う。距離を詰めようとする行動が、むしろ距離を広げる事になってしまうのは、とても良くある事態なのだろう。自然と距離が詰まるのを感じられたのなら、それはそのまま放っておけば良い。特別な行動は要らない。距離が詰まる様子がなければ、控えめな態度を保ったまま、じっとしているべきだ。やはり特別な行動は要らない。
 これらの教訓を得るまで、何か行動して、それで距離が詰まるものだと思い込んでいた。でも、本来は逆で、距離が詰まったところで行動する動機が生まれるのだと気付かされた。もちろん、行動の結果としてさらに親しくなることはあるだろう。だけど、大前提として自然な歩み寄りがないといけない。それがないところで行動しても、痛ましい結果を生むだけに終始するのだろう。


 まっとうな人間なら、こういった事は言葉にするまでもなく身に付けているものなのかもしれない。僕はまっとうとは掛け離れている人間なので、いくつかの事件や事態を通り過ぎて、言葉を使って考えてみるまで明らかにできなかった。しかし、ずっと分からないままでいるよりはましだ。色々なトラブルから得た教訓を胸に、今年を大事にして過ごしていこうと思う。