黒赤ちゃんライブ

 ライブハウスでもらったフライヤーの束の中に、白黒コピーで刷られた黒赤ちゃんのものが混じっていた。「街は今日もにぎやか」のフライヤーで、今年6月から始まるレコ発ツアーの日程が書いてあった。


 そう、「街は今日もにぎやか」が出たのは今年の6月だった。あれから色々のことがたくさんあって、雨の中で表参道の豪華なライブハウスを訪ねたのがとても昔のことのように思われた。だけど、それはたった半年間に過ぎなかったのだ。

 半年の間に、たくさんの人と知り合ったし、同時に別れもあった。傷ついたり傷つけたこともあった。ひねくれ、いじけ、眠れなかったり、慰められたりした。短い間に色々なことがあった。

 僕は邪悪な人間だ。邪悪で、コンプレックスばかり胸に詰め込んでいる人間だ。そんな邪悪な男でも、音楽や文学に触れている時だけは、何か神聖なものに近づけた気持ちになるのだ。それは逃避なのかもしれない。だけど、自分の邪悪を忘れさせてくれる輝きが、音楽や文学にあるのも確かだった。

 黒赤ちゃんの音楽には光がある。決して明るさではない。薄闇の中で点される小さな灯であったり、明け方にまだ輝いている星の名残であったり、そんな光だと思う。それは、これから輝きだす光であり、かき消えていく残光でもある。黒赤ちゃんは、そんな変化の最中にある光を捕らえてきたのだと思う。

 その光には、太陽のような眩しさはない。だけど、星まで覆い隠してしまうような乱暴さもない。それはあくまで自ら輝いているだけで、周囲の光を邪魔しない。閉じた目を暴力的にこじ開けることもしない。そんな優しい暗さが、黒赤ちゃんにはあると思う。

 僕が黒赤ちゃんに惹かれたのは、結局そういう優しい暗さのためだと思う。何もかも真っ白に全否定しない、逆に、暗闇へ突き落とすこともしない。ちょうど良い明るさで、優しく僕らを照らしてくれる。

 黒赤ちゃんがこれからどうなるのか、まだ分からない。それは、僕がこれからどうなるのかと同じくらい分からないことだった。ただ、変化の中で初めて見えてくる光もあるのだと思う。夜になるのを押し留めることはできない。だけど、月や星を愛でることだってできるのだし、いずれまた朝がやってくるだろう。

 矢澤賢太郎さん、長い間お疲れ様でした。
 矢澤さんのベースには、何度も慰められ、勇気付けられ、支えられてきたように思います。他のメンバー達も、きっとそうだったでしょう。
 素晴らしい音楽を、本当にありがとうございました!