夏目坂

 通勤電車が早稲田で止まった。時間調整に定評のある東西線だ。僕は即座に駅を出て、隣にある都営大江戸線牛込柳町駅を目指した。
 都心の夏の朝だった。眩しい光が家並みの濃い影をくり抜いていた。額に汗がにじむ。同じように別の駅を目指して歩く人々が狭い歩道に散見された。
 同窓会に行った反動からか、昔のことを良く思い出す。といっても、このとき思い出したのはそれほど昔のことじゃない。専門学校時代の終りのことだ。
 高田馬場に専門学校の校舎があって、土曜日の午前にはピアノの授業を受けに行った。物好きな僕は、ろくに楽器に触ったこともないのにその授業にずっと出ていた。ピアノなんて全然弾けるようにならなかったけれど、普段通っている場所とは違う街を歩くのは何だか楽しかった。
 就職活動が始まって、僕はある小さな編集プロダクション? のようなところの会社説明会に行った。会場は早稲田で、なぜか裏通りの小さな教会で行なわれた。若い社長と普段着の数人の社員が集まって、仕事の内容を話してくれた。マンガやゲーム雑誌の編集を下請けしているらしくて、なんだか親近感が湧いた。エントリーシートを出して帰ったら、一次面接の案内が来た。でも僕は、メーカー系の中小企業に内定が決まって、そちらに行くことにしてしまった。
 それが確かあの交差点のあたりだっけ……と思いながら、僕は久しぶりの早稲田を歩いた。小さな教会は思い違いのせいか見つからなかったけれど、もっと別のものに行き当たった。緩やかな直線の坂道、「夏目坂」だった。
 夏目坂の夏目は、夏目漱石の夏目だ。実はちょっと前まで夏目漱石の著作を一通り読んでいた。江藤淳の評論も読んだ。漱石喜久井町が地元だったそうだ。きっとこの辺りを行き来したこともあったのだろう。漱石自身は、自分の生家をほとんど憎んでいたそうだけど。
「猫」や「坊ちゃん」などで、漱石は割と飄々とした人物のように思われているかもしれない。だけど、本当は物凄く不器用な人だったらしい。だから大学教授の席を蹴ってまで小説家になってしまったのだった。今でこそ小説家は社会的地位を与えられているけれど、当時はまだ小説が発展途上で、基本的にいかがわしいものだと思われていた。今で言えば、大学教授の席を蹴ってスクウェア・エニックスゲームクリエイターになるくらいの衝撃だったのかもしれない。
 江藤淳の評論でも強調されていたけれど、不器用さは真摯な小説家に必要な能力らしい。不器用を自認している僕はそれでちょっといい気になったけれど、果たして僕はそれほど真剣に不器用なんだろうか。まだあるかどうかも怪しい弱小編集プロダクションを蹴って、安定した企業に入り込んだりしている。そこを辞めてフリーになったけれど、思惑とは逆に、さらに安定した場所に入ってしまった感がある。
 そんなことを考えながら雑居ビルに囲まれた夏目坂を上る。居酒屋「漱石」が建っていたり、地名を示す標識が地面に刺さっていたりした。坂は器用に多い尽くされていた。そうしていつか器用さがこの坂を完全に消してしまうときがあるかもしれないと思った。だけど、漱石の不器用な小説は永久に残っていくだろう。
 僕は器用に大江戸線に乗り換えて、三十分遅れで会社に着いた。