7/4前(二)

七月四日 朝〜

 朝早くに目が覚めた。自分がちゃんと生きていることに安堵した。寝汗をびっしょりと掻いていて、シャツや毛布が身体に張り付いていた。胸の痛みは昨夜に比べると少しやわらいでいたけれど、身体を起こすとすぐに元通りになった。喉が痛い。息苦しさも変わらない。深い呼吸ができなかった。
 起きてはみたものの、病院はまだ開いていない時間帯だった。会社に病欠の連絡を入れるにしても早すぎる。僕はとりあえずシャワーを浴びることにした。動くとやはり左胸が張り詰めるように痛んだけれど、どうにかシャワーくらいは浴びられそうだった。
 バスルームでは、屈みこんだ時が特に苦しかった。多分肺の空気が動くのだろう。左手を使うときも痛い。それでもどうにか身体を洗い、髪を洗い、髭を剃った。時間だけはたくさんあった。
 八時半頃になってから、メールで会社に連絡を入れて、病院へ向かった。病院は歩いて行ける距離にあった。だけど今は、胸も足も小刻みに動かすことしかできない。汗が身体中ににじんだ。背中が変な形に丸く曲がる。
 病院に着いたのは九時十五分前くらいだ。診察が始まるのは九時だった。患者はまだ一人も来ていない。僕は椅子に座って診察が始まるのを待った。そして本を持ってきていない事に気づいた。このまま入院になってしまうかもしれないから、本くらい持ってきた方が良かったな、と後悔した。診察の準備をしている看護師が通りかかって挨拶をしてくれたけど、僕は唸り声みたいな返事しかできなかった。早く診察して欲しかった。
 ようやく九時になって診察室に通された。声は思ったより普通に出せた。いつから胸痛がありますか? とかどんな痛みですか? とか、一般的なことをまず質問された。とにかく気胸なので早く処置してくれ、と言いたくなったが素直に受け答えをした。
 それからレントゲン撮影をした。撮影はすぐ済んで、また診察室に戻って説明を受けた。最初は前回撮った写真を見せてもらった。左の鎖骨の辺りがごくわずかに透き通っている。肺から漏れた空気が作る空洞だ。
 医師の声が、深刻という程ではないけどやや焦っているのが分かった。続けて看護師が先ほど撮った写真を持ってきた。
 左胸がほとんど空っぽになっていた。肺らしいもやもやした影は、身体の中心近くにしぼんで貼り付いているだけだった。握りこぶしと同じ位まで縮んでいる。あとは肋骨でできた空っぽの格子窓になっている。これはまずいな、と僕も思った。
「ここまで縮んでいると、ちょっと自然には戻らないと思いますね。大きい病院で診てもらった方がいいね」
 そして、血中の酸素濃度を計るための小さな機械を指先に付けた。平常時を一〇〇パーセントとして、九三パーセントまで酸素濃度が下がっていた。後で調べたが、九五パーセント未満は要注意らしい。
「紹介状書いてあげるから、すぐ行って下さい。T病院でいいよね?」
 T病院といえば、八王子ではもっとも良い病院だ、とラーメン屋の店主から聞いた事がある。気胸専門病院というものも知人から教えてもらっていたけど、とりあえずそこでお願いする事にした。
 紹介状とレントゲン写真を抱えて病院を後にした僕は、国道の脇の歩道にさまよい出てタクシーを求めた。タクシーはすぐに見つかった。
 T病院は本当に大きな病院だった。巨大な病棟が屹立していて、二階建ての駐車場を脇に従えていた。タクシーはそんな巨大な病院に吸い込まれていく。そうして受付の前で止まった。
 受付は非常に混んでいた。ひっきりなしに人が訪れていた。僕は初診だったので、普通に初診用の書類を書いて出した。だいぶ時間が経ってから名前が呼ばれた。招待状を受付の人に渡しながら、もう連絡してあることを最初に言っておいた方が良かったかな、と思った。
 招待状を渡してからは話が早く進んだ。すぐに看護師が現われ、そして車椅子に乗せてくれた。歩くのが辛かったので助かったけれど、周囲の視線がちょっと気になった。外見は車椅子が似合わない若くて壮健な男子なのだった。
 看護師が車椅子を押してくれた。最初にまず採血が行なわれた。採血専用の部屋があって、そこでは何人も並行して血を抜かれていた。僕も車椅子に乗せられたまま採血の台に向かった。採血は正直な話得意じゃない。得意な人もあまりいないとは思う。とにかく血が抜かれるのを見ているのは気分がよくない。
 運が良い事に、僕の採血を担当した人は非常に上手だったらしく、針の傷みをほとんど感じなかった。短い試験管で四本ほど血を抜かれた。
 採血が終わって部屋の外で待っていると、先ほどと同じ看護師が戻ってきてまた車椅子を押してくれた。歩けないこともないのに車椅子に乗っているのは何となく情けなかった。
 次はレントゲンとCT撮影だった。レントゲン写真は持参していたけれど、一応この病院でも自前で撮影するようだ。レントゲンで胸部を正面からと側面から一枚ずつ撮影し、CTスキャンも受けた。撮影のたびに苦労して胸を膨らませた。左胸はやはり空っぽのようだ。空気の入り具合で分かる。
 また同じ看護師が戻ってきて、車椅子を押してくれた。道の途中で
「詳しいお話はこれからありますけど、多分入院ですね」
 と苦笑しながら教えてくれた。
「やっぱりそうですか」
 と僕も苦笑した。
 それから呼吸器・循環器関連の診察室の待合へと向かった。細長い部屋で、背中合わせになった二列のベンチが中央に置いてあった。壁には肺のシンボルを描いた緑色の扉が並んでいる。その一つ一つが診察室になっているらしかった。僕は車椅子からベンチへ移って診察を待った。
 酸素ボンベを従えたお年寄りが何人も、僕と同じように診察を待っていた。自分が場違いな気がして何だか肩身が狭かった。ボンベを付けたお年寄りはみんな案外元気そうで、大きな声で看護師と話していたりした。
 やがて診察する先生が現われた。白衣を着た中年男性で、恰幅が良くて威厳があった。よろしくお願いします、とお互い挨拶をした。先生は扉の向こう側に消えた。僕は看護師から血圧を計っておくよう言われた。血圧計は待合室の角にあった。
 血圧を計ってからだいぶ待った。扉の向こうでなにやら議論されているようだった。気胸だけでなく別の病気もついでに見つかっていたら嫌だな、と思った。看護師が再三現われて
「ご家族と連絡は付きますか? できればこちらにお越し頂きたいんですけど」
 と言われた。いわゆる死亡フラグだなと僕は思った。
「多分夜遅くになってしまうと思います」
「そうですか……」
 看護師は残念そうに去っていった。
 随分待ってからようやく目の前の診察室に通された。先ほどの先生がパソコンを前にして座っていた。そうして、レントゲン写真やCTスキャンの結果をパソコンで見せてくれた。やはり左肺が大きく縮んでいる。
「とりあえず胸に管を通して空気を抜く処置をします。そうして入院ですね」
「どのくらいの期間になりそうですか?」
「広がり具合によりますけど、一週間か二週間か……」
 やはりそのくらいは掛かるよな、と僕は思った。
「再発なので、手術をした方が良いですね。管を通して空気を抜いても、また再発する可能性が高いので」
「手術をする場合はどのくらいの期間になりそうですか」
「今ちょっと空きがないので、早くても来週か、遅ければ再来週かですね」
 とりあえず手術のことは置いておいて、胸に管を通す処置を受けて入院することにした。入院証書という書類に署名をした。保証人の欄もあった。家族を呼んで欲しかったのはおそらくこの欄のためだろう。父の名前を書いて、印鑑は後回しにした。
 書類を書き終えると、先生はパソコンを操作して入院の手続きを行なった。患者のカルテや診療予約を行なえる複雑なソフトらしかった。いくつもウィンドウやタブが重なっている。複雑で扱いづらそうで、先生が格闘している場面もあった。職業柄、僕ならどういう風にデザインするだろうかと考えてしまう。医療系ソフトのプログラマになるのも良いかも知れない。
「じゃあ処置室の方へ」
 いよいよ胸に穴を開けるのだな、と僕は緊張した。ネットでの体験談を読む限り、結構痛いらしい。ついに身体の外側にも穴を開けることになったのだった。