中野・神保町・牛込柳町・大久保・中野

 知り合いの画家さんと会う約束をしていた。僕は何故かペンタブレット(パソコンで絵を描くための、ペンと画板のような道具)を持っていて、もうほとんど使っていないので画家さんにあげてしまおうと思ったのだった。
 中野で待ち合わせて、近所のイタリアン・レストランに入った。画家さんからペンタブレットのお返しにカナダのクッキーとキース・ジャレットのCDを貰った。画家さんはカナダに在住していたことがあり、クッキーはそこで一番おいしかったものだという。海外のお菓子にありがちなきつい甘さがない、メープル味のおいしいクッキーだった。
 レストランを出た後、画家さんは神保町の画材店を見に行くのだと言った。そういえば神保町には最近行ってないなと思い、僕もついて行かせてもらうことにした。画家さんは神保町を初めて訪れるらしい。
 画材店では色々な画材について教えてもらった。チョークアートに使うパステルや油絵の具の顔料を練りこんだクレヨン(?)など。中学・高校の頃にマンガを描こうとしたことがあって、画材店に出入りした時もあったけれど、その頃には見当たらなかった画材がたくさんあった。画材の世界は思ったより変化が激しい気がする。
 画家さん自身は、鮮やかな色合いの絵の具を数色だけ使うそうだ。作品を観ると元の鮮やかな色なんてどこにもなくて、くぐもった泥のような雰囲気が画面全体を覆っている。絵の具を何度も塗り重ねると色が濁ってきて、そういう風合いになるらしい。だから、わざわざ濁った絵の具は買わないそうだ。作品だけを観ていると、そんな鮮やかな色調の絵の具が使われているなんて考えられない。
 画材店を後にしてから、神保町は初めてだという画家さんに古本屋街を案内した。僕も久しぶりで勘が鈍っていて、大した案内はできなかった。ただ、画家さんの好きな鉱物(水晶の原石など)を扱っている店が見つかった。アメジストとかは良く見かけたけど、天青石(セレスタイン)という鉱物は初めて見た。原色の青ではなく、爽やかなスカイブルーの鉱物だ。そのお店は、鉱物以外にもオカルティズム関連の書籍で色々品揃えがあって興味深かった。
 その日は飯田橋でライブを聴きに行く予定だった。場所を詳しく覚えていなかったけれど、お寺で行なわれるということだけは聞いていた。調べれば分かるだろうと思って安心していた。画家さんにライブの話をすると、それは飯田橋でなくて牛込柳町のはずだと言われた。調べてみると確かに牛込柳町だ。住職が有名な人らしい。画家さんもそのお寺の花祭りに行ったことがあるそうだ。奇妙な縁だと思った。実はそのライブには、僕のギターの先生が出演しているのだった。
 ライブは、しまだあやさんというアーティストのアルバム発売を記念したものだった。沖縄の血を受け継ぐ歌手で、優しく懐かしい歌が多かった。木の実や植物でできたパーカッションや、手作りの弦楽器や笛を交えた独特の編成だった。お寺の住職さんもパーカッションで参加していた。そして先生は、なんと十弦ギターを持ち込んで演奏に加わった。終盤の曲にはダンサーも交わり、独特の作品世界を堪能できた。
 住職さんのお話で「ガタピシ」が実は仏教の言葉だというものがあった。漢字を当てれば「我他彼此」となるらしい。ガタピシした扉を直すには扉の方を直し、枠の方は直さない、という話にははっとさせられた。どこかに納まるためには、自分を変えていかなければならない。それを僕は十分に行なっているだろうか?
 ライブの後は大久保を通って中野まで歩いた。大久保・新大久保には韓国の人が多くて、異国に紛れ込んだ気分になった。最初の目的地の中野に戻ってきたので、ちょうど一周したことになる。どこをどう一周したのかはよく分からなかった。