トリックスター

 知らぬ間に僕は叙任されていたらしい。叙任式をいつ通り過ぎたのか、僕はまったく覚えていない。それは、森の中で巨木に囲まれて、自転車の小ささに気付いた時だったのだろうか。あるいは島の海岸で、暗闇のなかに立って太平洋からやってくる雲を迎えた時だろうか。雪の降った早朝に、生きているものの誰もいない寺院を訪れたときだったろうか。妖怪が住んでいるような山間の峠道を越えて、遠い故郷を目指したときのことだろうか。にわか雨とともにやってきた雹に打たれながら、天を突く御神木を詣でた時のことだったろうか。
 僕は通り過ぎる。場所や人々の上を通り過ぎていく。望むと望まざるとに関わらず、重なりあった異なる次元の上を滑っていってしまう。訪れた場所や人々を僕は変えてしまう。そして、自分自身もどうしようもなく変わってしまう。
 僕はきっとトリックスターだ。僕は内気で虚弱で、頭が固くて不器用で自信が持てないくせに無駄にプライドが高い、そういう矮小な人間だ。そして、何かを動かそうとせずにはいられない。僕が触れたものには必ず何かが起きる。良い事か悪い事か、それは分からない。何が起こるかについて、僕は何も言えない。そもそも、自分自身に物事を起こす力があるとはほとんど信じられないのだ……。僕を知る人たちも信じないだろう。
 だけど僕は最近、自分が神話を生きているのを感じている。思い返せば、僕は僕の神話を生きていたし、これからもそうだろう。数々の人物や場所とのすれ違いが、次々に神話を生んでいく。
 僕はいずれ自分の神話を書くだろう。小説を書くことは神話を書くことでもある。自らの神話を打ち立て、読者をある地点に到達させるのだ。僕がある地点に向かって永久に滑っていくように。