離脱者

 曇り空の下で洗濯物を干しているうちに、陰鬱な考え事が頭の中へ忍び込んできた。僕は、出て行くばかりの人生を歩んできたな。メジャーからマイナーへ、多数から少数へ、そういう軌跡ばかり描いてきたな。そんなことにふと思い当たった。

 友人が多く進学した地元の高校には行かず、少し離れた国立高校へひとりきりで通った。十八でひとり実家を出て東京で暮らし始めた。地元大学に通うという選択肢を蹴って、専門学校でエンターテイメント小説の勉強をした。卒業して会社に就職できたけれど、四年で辞めてフリーランスになった。学校のOB・OGが集まっている創作の勉強会にも二つ参加していたけれど、どちらも辞めた。エンターテイメントを辞めて純文学を志向した。
 洗濯物を干し始めた矢先に雨が降り出した。雨粒の軌跡が虫の吐く糸のようだった。雷が屋根の上で鳴った。降って来るものに雹が混じっているかとも思ったけれど、見下ろした地面は黒く濡れていくだけだった。どうせ濡れているものだからと、僕は構わずに洗濯物を干し続けた。
 夕方になって雨が上がった。僕は散歩に出掛けることにして、近所の川辺を久しぶりに歩いた。にわか雨を受け止めた川面に、幹線道路の寂しげな街灯たちが映り込んでいた。暗く開けた視野の端にはデパートのイルミネーションが浮かんでいる。
 いずれこの街も出て行くことになるんだろうな、と僕は思った。今の部屋の契約が切れたら、どこか別の街に移り住むだろう。出て行くばかりの人生だ。そのうち日本からも出て行ってしまうかもしれない。
 出て行くばかりの人生、それは確かに僕が選び取ってきた生活だった。色々なものを天秤に掛け、苦杯を飲み干しながら決心してきた。出て行くばかりの人生を甘受していることについては、僕自身にすべての責任がある。
 だけどそれは「僕のせい」だろうか。僕は出て行くことを望んでいたわけじゃない。決して望んでいない。出て行くことが本当に辛かったこともあるのだ。
 本音を言えば、僕はどこかに居ついてしまいたい。根無し草をやめて確かな地面に固着したい。それもなるべく寂しくない場所が良い。自分の好きな人たちがたくさんいるところが良い。
 だけど、何かがそれをさせない。正しい道を選ぼうとするとき、それは必ず、今いる場所から遠ざかる方向へ、しかも、より寂しい方向へと続いている。僕は遠ざかることを選んでいるんじゃない。寂しい場所を選んでいるわけじゃない。自分なりに判断して、正しいと思える道を、居るべきだと感じられる場所を選んでいる。それがたまたま、遠ざかる方に向いていたり、寂しい場所だったりするだけだ。
 自分の選ぶ道が遠ざかる方に向いている事を僕はもちろん受け入れる。だが、道が遠ざかる方に向いている、ということ自体は、僕のせいなのだろうか?
 今いる場所から遠ざかることなく、しかも正しい。そういう道がもし存在するのなら、僕は真っ先に飛びつくつもりでいる。だけど、今のところは、正しい道というのは遠ざかる道であったし、振り返ってみれば、遠ざかる道が正しかったのだと言わざるを得ない。

 川辺の歩道を僕は気に入っていた。ライトに照らされた明るい橋のたもとから、街灯ひとつない細い道へと入っていく。街明かりは後方に遠のいて、すれ違う人の顔も見えない。静かな水の音が身体を包む。夜空を隠すものはなにもない。歩いているとやがて次の橋が――次の街明かりが――近づいてくる。灯火の中へ戻るとき、夜闇が名残惜しくもあり、人工の光が懐かしく感じられもするのだった。