再掲

 僕はまたこの辺りからやり直す必要がありそうだった。

もうやめよう

もうやめよう
人に甘えるの
もうやめよう
愛されたいと思うこと
もうやめよう
報われたいと願うこと
もうやめよう
認めて欲しいと
人前で小さく呟くの
もうやめよう
お節介を焼いて
人に好かれようとするの
もうやめよう
役に立てば愛される
という思い込み
もうやめよう
誰かが思ったとおりでないときに
裏切られたと感じるの
もうやめよう
愛するのにも資格が要るという
現実から目を逸らしているの
もうやめよう
落ちた小銭を見るように
他人がこぼした嫌悪を目で追うの
もうやめよう
誰も喜ばない本当のこと
胸の奥から引きずり出すの
もうやめよう
片思い
もうやめよう
自己憐憫
もうやめよう


何もかもをもうやめて
そうして 世間と自分を繋ぐ鎖を断ち切って
漕ぎ出す海はサルガッソー
今まで多くの船が潮に流され
どうしようもなくさまよいこんで
幽霊船となって出てきた場所だ
陸(おか)の連中が目をそむけ
声をひそめる闇の領域 未知の海域
だからこそ僕は行かねばならない
あの静かな暗い渦のまんなかへ
何も起こらない粘つく海の中心へ
僕は行かねばならない
誰も知らない向こうの岸へ着くために
そして 闇を光とするために

溶解

限りなく海に近い
ねばつく川の上
鉄の橋が低く伸び
夏の終りの腐臭がただよう
ここはずいぶん静かだな


ただ あちこちの高いところで
灯火がまぶしく ビルの稜線を描いている
それだけが恐ろしい
垂直の稜線 無情な論理の断崖
僕は論理が恐ろしい 僕の論理は
首の辺りの骨から生えて
頭の後ろに突き出して 一対の
黒い翼の止まり木となる
時間の矢を追いかけて 立ち上がり
走り よじのぼり ドアを抜け
ふと足元を見下ろせば
自分の影を踏んづけた そんな時に
黒い翼は舞い降りてくる
僕は論理が恐ろしい
僕は黒い翼が恐ろしい


僕は僕が恐ろしい
触れるものぜんぶ僕は壊してしまうから
震える指が
ささやかな和音を奏でる弦を切断し
半開きの眼が
街の空をかすめた流星群を地に落とし
磨り減った靴が
切り出した水晶玉を粉にした
触れるものぜんぶ
僕は壊してしまう だけど
ただひとつ
壊せないでいる
自分だけは
壊せないでいる
壊せないでいる
壊せないでいる


時間の矢など落ちてしまえ
そうして 夜の空で渦を巻け
僕はあまりに垂直を生きすぎた
論理の断崖 黒い翼の止まり木を
生きすぎた
空と海のあいだのあいまいな境界線へ
あの世界の隙間に向かって
垂直の稜線などねじ込んでしまえ
それから 懐かしい水平線に身を横たえよう
時が雨となって降り注ぎ
僕をゆっくり溶かしてくれることを
何かに祈りながら


ああ
あちこちの高いところで
灯火がまぶしく ビルの稜線を描いている
だけど ここはずいぶん静かだな
夏の終りの腐臭がただよい
鉄の橋が低く伸びる
限りなく海に近い
ねばつく川の上